なぜ神は「自分なりの方法でやりたい」という思いを我々に埋め込んだのか [宇宙の法則]

 を、解説しよう。僕なりの仮説だが、一読に値する。タダで読めて、よかったなー。長文になるから、ここで、頭がクラクラするなら、ただちに漫画サイトへ行け。

  神は絶対である、と言われて、もしも全員が「はい、そうですね」、とついて行ったら、神が絶対であることは、示されるだろうか。いや、示されない。

 たとえば、「この鉱石は絶対に割れません」、と言われれば、壊したくなるだろう。ハンマーで叩く、鉄砲で撃つ、大砲で撃つ、原爆でぶっ飛ばす、それでも、壊れなければ、絶対だと信じるよね。そうさせるために、神は我々に、「自分なりの方法でやりたい」、という本能を埋め込んだ。この、悪魔までとは行かないが、ちょっと反抗してみたい、という本能を「顛倒夢想(てんどうむそう)」という。意味は、物事が逆さまに見えるということ。ためになることが、だめになることに見え、だめになることが、ためになると、見えてしまう現象のこと。

 「顛倒夢想(てんどうむそう)」について、徹底解説をしているのは、潜在能力開発の研究をしている、重見幸俊氏で、研究成果は、彼の音声テープに委ねたい(今でもダウンロードできるはず)。 

tendou musou 1.JPG 

 多くの人は、この本能に従って、苦労して、無駄な努力をして、人生を終える直前に、「あっ、しもうた」、になっちゃうんだよ。

 ただ、神は、我々にこういう人生を強いるために、我々を創ったのではない。ちょうど、家から追い出した我が子を、陰で案じている親のように、ヒントをずっと、思念の波動という形で送り続けてくれているんだよ。だから、ときには、神の声に、tune inしてみようよ!


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