「人生はアート」復習 [宇宙の法則]
自分だけ幸せになろう! [宇宙の法則]
ひとの価値 [宇宙の法則]
神などいない [宇宙の法則]
世界を変える方法(永久保存版) [宇宙の法則]
宇宙の法則から外れて生きていっても [宇宙の法則]
相対性理論の公式 [宇宙の法則]
デート・音楽アプリ・呼び起こされた曲 [宇宙の法則]
僕の話の怖い部分は [宇宙の法則]
ここだろう。「いくら、自分に嘘をつき続けて、生きていても、死ぬときに真実の念波が宇宙に飛ぶ」。おそらく諸君は、虚構に包まれて死にたいはずだ。「自分はこうなんだ」、と最後まで思って、そういうストーリーの中で、そのまま死んでいきたい。そのためには、僕が唱える説を否定しなければならない。その方法は、次の3つだ。
1. 新興宗教に入信し、違う解釈を学ぶ。
2. ヤクで頭を破壊し、真実の念波が飛ばないようにする。
3. 自分で自分をぼけさせ、若年性痴呆症に陥り、真実の念波が飛ばないようにする。
無作為だと、「真実の念波が飛ぶ」ということが、つまり、僕が正しいということが、証明されてしまうので、悔しいので、だから、まあー、1番を選ぶでしょう。新興宗教、がんばりな。
念波がある証左 [宇宙の法則]
を述べる。自分なりの仮説だが、一読に値する。ただで読めて良かったなー、お前らー。
ファラデーケージを知っているか。金網状のもので、中にいると、電磁波が遮断される。それは、実験的に証明されており、携帯電話などの、通信機器で、ノイズをシールドするために、使われている。
じゃあ、そのファラデーケージの中にいれば、宇宙の法則から逃れられるのだろうか。いや、そんなことはない。金網の中にいても、重力はあるし、思考は出来るし、神に祈りも捧げることができる。だとすれば、光の速度で伝わる電磁波を超越した、なんらかの思念の波動が、あるということになりはしないだろうか。背理法からすると、そうなる。
現代科学の解釈では、有り得ない、光の速度を超越し、瞬時に伝わる波動が存在するということになる。それが思念の波動、念波。人間が何かを、願ったり、思いついたりするということは、この念波を送受信している、ということになる。
なぜ、「三人寄れば文殊の知恵」、なのか [宇宙の法則]
を、説明しよう。文章、短いぞ、ただで読めて良かったなー、お前らー。
ある人がある分野について得意だということは、全知全能の神からの思念の中から、その分野の思念のみを、選択して、受信する能力があるということだ。
1人なら単一帯域フィルター、3人なら3つの周波数域をカバーする帯域フィルター、ということになる。もちろん、周波数域が広ければ広いほど、良い。だから、三人寄れば文殊の知恵、なんじゃないの?
なぜ自分は生まれてきたのか [宇宙の法則]
を、生物の進化という観点から、説明してみよう。自分なりの仮説だが、一読に値する。長文になるから、頭がくらくらするなら、ただちに、漫画サイトへ行け。
「なにも、自分で望んで、自分に生まれてきたわけではない」、というセリフがある。確かに頭の中の理論では、そうだ。だが、魂のレベルでは、望んで生まれ出てきたのだ。
前記事で、生物が死ぬとき、「あー、もっとああしたかった、こうしたかった、ああなりたかった、こうなりたかった」、という思念が宇宙に飛び、その思念をキャッチした創造主が、その願い通りに、生物を進化させる、という説を唱えた。
人間も同じ。我々は人生の失敗を、山のように積み重ねて、「あー、もっとああしたかった、こうしたかった、ああなりたかった、こうなりたかった」、という思念を、宇宙に飛ばして死んだ。その心残り思念を創造主がキャッチして、敗者復活戦をさせてあげるために、我々を地上に遣わしたのだ。 ただし、前回の記憶をロード出来ないので、一からスタートする。
でも、かすかに思い出す。愛と自由が、心の中にうずく、なぜなら、それらを渇望しながら死んでいった歴史が、宇宙に刻まれているから。
そして、諸君のように、創造主からの宿題用紙を破り捨て、愛が得られない、愛によって裏切られたなら、悪魔にでもなってやる、結果、支配に走り、金に走り、貪りに走り、最後は、パッパラパーでいいんだと、人生を誤魔化しながら、生きていると、同じ失敗を繰り返すだけなのだよ。それが、どんなに無駄で、勿体無いことか、分かるかなー。うーん、それも、学びにとって、必要なプロセスなのかな。
なかには、僕のように、宿題をやってみよう、という人間も現れる。そういう人間を、よってたかって、ぶっ潰すのも、諸君。自分たちは、とっくの昔に、人生を諦めたのに、なんだこいつは、皆と違うことをやろうとしている、許せない。その心はイエスを磔にかけた群衆と、同じなのだよー。
創造主は、考え方によっては、親切でもあり、意地悪でもある。進化させてくれるが、障害物(人物?)も作り、なかなかマスを前に進めてくれない。敗者復活戦も楽ではない。
生物の進化の仕組みを [宇宙の法則]
考察してみる。自分なりの仮説だが、一読に値する。長文になるから、頭がくらくらするものは、今すぐ、漫画サイトへ行け。
生物は、代を重ねるに連れて、環境に適応してきている。ダーウィンの進化論では、それは、偶然の賜物、突然変異によるものだということに、なっている。偶然の賜物で、淘汰されないものが、生き残る。本当にそうか。僕には、そうは思えない。偶然ではなく、創造主の意図があるように、思える。
生物が、他の生物に食われて死ぬとき、たとえ、人間のような脳が無くても、思念のようなものが、宇宙に飛ぶのではないか。脚が速かったら、空を飛べたら、長く水の中に潜れてたら、見つからないような色をしていれば、強い牙、角を持っていたら、などなど。人間でも死ぬ直前に、走馬灯のように人生を振り返る、といわれている。それは宇宙に対して、強烈な思念を発しているということだ。その生物バージョンがあるのではないか。
創造主はその思念をキャッチし、偶然ではなく、意図的に、その生物を、代を重ねるに連れて、進化させるのではないか。僕にはそう思える。 なお、現代科学は、神、想像主、を認めていないので、この仮説は採用されない。
そう考えると、我々にとって、一番悲惨な人生は、自分自身に嘘をつきながら、生き、そして、死ぬ、ということだ。なぜなら、死ぬ直前に、やっぱり、自分が一番欲しているものが、強烈な思念として、一気に押し寄せてくるからだ。単なる生物ではなく、宇宙に対して、思念を発して、生前にリターンを得ることができる、高度な脳を持つ、人間であったはずなのに。
エゴを捨てると[超重要] [宇宙の法則]
なぜ神は「自分なりの方法でやりたい」という思いを我々に埋め込んだのか [宇宙の法則]
を、解説しよう。僕なりの仮説だが、一読に値する。タダで読めて、よかったなー。長文になるから、ここで、頭がクラクラするなら、ただちに漫画サイトへ行け。
神は絶対である、と言われて、もしも全員が「はい、そうですね」、とついて行ったら、神が絶対であることは、示されるだろうか。いや、示されない。
たとえば、「この鉱石は絶対に割れません」、と言われれば、壊したくなるだろう。ハンマーで叩く、鉄砲で撃つ、大砲で撃つ、原爆でぶっ飛ばす、それでも、壊れなければ、絶対だと信じるよね。そうさせるために、神は我々に、「自分なりの方法でやりたい」、という本能を埋め込んだ。この、悪魔までとは行かないが、ちょっと反抗してみたい、という本能を「顛倒夢想(てんどうむそう)」という。意味は、物事が逆さまに見えるということ。ためになることが、だめになることに見え、だめになることが、ためになると、見えてしまう現象のこと。
「顛倒夢想(てんどうむそう)」について、徹底解説をしているのは、潜在能力開発の研究をしている、重見幸俊氏で、研究成果は、彼の音声テープに委ねたい(今でもダウンロードできるはず)。
多くの人は、この本能に従って、苦労して、無駄な努力をして、人生を終える直前に、「あっ、しもうた」、になっちゃうんだよ。
ただ、神は、我々にこういう人生を強いるために、我々を創ったのではない。ちょうど、家から追い出した我が子を、陰で案じている親のように、ヒントをずっと、思念の波動という形で送り続けてくれているんだよ。だから、ときには、神の声に、tune inしてみようよ!
なぜ神は悪魔の存在を許すのか [宇宙の法則]
を、解説しよう。僕なりの仮説だが、一読に値する。タダで読めて、よかったなー。長文になるから、ここで、頭がクラクラするなら、ただちに漫画サイトへ行け。
神は絶対である。ここで数学的に証明法を考えてみよう。あることが絶対であることをどうやって示す?それ以外のものすべてを、テストして、Faultという結果を出すしか方法はない。それ以外のものすべては、無限にある。だから、神は万物を創造し、その中には、自分に逆らうもの、悪魔も入っているのだ。
人間の殺し合いも、許している。こんな醜い形をして、何の役に立つのか、というほどの昆虫の存在も許している。独裁国家に雑魚民として生まれ、己の人生を恨んだまま死んでいくことも許している。金持ちの子供として生まれ、スーパーカーを乗り回し、何の思考、苦労もしない、ドラ息子の存在も許している。金持ちの子供として生まれ、デザイナークローズ、靴、バッグ、宝石類をクローゼットに山積みにし、何の思考、苦労もしない、ドラ娘の存在も許している。孵化して、飛び出した瞬間に、食べられてしまう、稚魚の存在も許している。銀行券をプリントする権利を獲得、維持することによって、人類を奴隷にしている、ユダ金の存在も許している。これらすべてを経験して、最終的には、我々の思念が、宇宙=神=愛 にたどり着くまで、延々とこれらは続いていく。
だから、「神なんていねーよ」とか、「キリストを憎んでいる」とか、「何が愛だ、おれはヤリたい、ヤレればいい」とか、「自分には宇宙の法則は当てはまらない」とか、「おれが神だ」とか、「他人を支配したい」とか、「女が男を支配するものだということを証明したい」とか、「なんやかんや言っても、金がすべて」とか、神以外のこれらの思念は、失敗する(Faultの判定を食らう)ことによって、神が絶対であることを示すために、神により存在を許された、供物なのだ。
悪魔のささやき [宇宙の法則]
の方が、なぜ、キャッチしやすいのか。
神は絶対である。上とか下でいうなら、一番上。悪魔は人知を超えているように、見えても、所詮、神より下である。だから、無知蒙昧から、スタートした人間は、必ず、悪魔のささやきの方を、先にキャッチしてしまう。
釈迦もそう、イエスもそう、悪魔の囁きを、まずキャッチし、跳ね除ける修行を経て、神の啓示を受けた。
容易なものの奥に、絶対であるものが、あるということだ。
神との対話 [宇宙の法則]
その人の動機が正しく、その人が諦めずに祈れば、神は必ず、答えやヒントを啓示してくれる。神の啓示は、思念の波動という形で伝播し、人間の脳という受信機が、その周波数に合わせ込めた瞬間に、たとえば、朝起きて頭がクリーンなとき、風呂上がりで、心身がさっぱりしたとき、夕暮れに遠くの木々を見ているときなどに、訪れる。
なぜ、これが可能なのか。この宇宙、世界を創ったのは、創造主である神であり、人間はその箱庭の中で泳いでいる、だから、神と通じることができるのは、自然のこと(given)なのだ。神は全知全能であるから、すべての人間の悩みに対して、答えを持っている。
では、どのようにすれば、神の思念の周波数に合わせられるのか。まず、食べ物。腸と脳は繋がっているわけで、腸内環境が整った状態が必要。他にも呼吸法、瞑想、などがある。
ただし、ひとつだけ注意点を述べたい。神の啓示と悪魔のささやきを混同しないでほしい。悪魔のささやきなら、どんな食べ物を食べようと、どんな瞬間だろうと、簡単に、即興で周波数を合わせることができる。諸君が思いついて、僕に対して行った、策謀は全部、この悪魔のささやきによるものだ。
目安として、簡単に思いついたことは、悪魔のささやきと思って良い。逆に長い間苦しみ、いろいろな経験をし、何度も諦めかけ、それでもめげずに考え抜いた末、祈り抜いた末に、ふとキャッチした思念(これをも人間は「思いついた」と表現する)は、神の啓示だと思って良い。
神の啓示を受けると、物事がさかさまに見えてくる。嫌だったことが好きになったり、苦手だったことが得意になったり、難しかったことが簡単に見えてきたり、などなど。
この世でもっとも幸せなことは、神の啓示がバンバン訪れる状態にあること。悩まないでも、答えがどんどん出てくるから。
この世でもっとも不幸なことは、神の啓示を全く受けることができずに、または受けかけても、エゴが邪魔をし、人生を終えること。
このように高い位置から、人間を見ると、財産のある無しや、権力のある無し、など、人間の幸不幸とは、まったく関係無いと、いえよう。
鬼嫁から身を守る方法 [宇宙の法則]
は、ただひとつ。それは、皮肉と嫌味で、完全武装し、イビリやチクチクを跳ね返すこと。
実際に、そうなっている人たちが、身の回りに沢山いる。
それは、会社の人、見知らぬ人、たちへの応対にでさえ、自然に出てくるようになる。
人間関係がギクシャクになり、ますます、自分が攻撃されている、と感じる。
そして、いつしか、ふと目を足元に落としたときに気づく一輪の花、天を仰いだときに、目にする渡り鳥の群れ、耳にする小鳥のさえずり、さえをも皮肉っぽく感じたとき、つまり、神の造形物に、軽蔑を感じたとき、その人の人生は終わる。
ちょうど、衛星軌道を外れた、人工衛星が、もう二度と地球に戻ることの無いように、神の意思から離れた人間は、永遠の分かれへと旅立っていく。
マニュアル主義か応用主義か [宇宙の法則]
「世間」、「集団」、「空気」が好むのが、「マニュアル主義」。一見、協調性があり、秩序を保ち、良く見えるが、神の目から見たら、役に立たないタイプ(<-諸君のこと)。
知識を応用することが出来る才能を持った人たちがする、「応用主義」こそが、神が注目すること。 だから、真我に目覚めた人、目覚めようとする人は、他人にああせい、こうせい、と言われるのを嫌い、自分で得た知識を、知恵に変化させ、次々と周囲の世界に応用し、誰にも迷惑をかけずに、自分の人生を切り開いていくことが出来る(<-僕のこと)。
神がマニュアル主義を、役立たずと、思っていることを、疑うならば、聖書の「1タラントのたとえ」の節を読んでみよう! ちなみに、その節では、諸君が信仰する、「人生ゼロサム理論」が、否定されている。つまり、諸君そのものが、否定されている。その節を読み終えたなら、諸君がこのまま生きていても、何の意味も無いことを、自覚することになる。