なぜ自分は生まれてきたのか [宇宙の法則]

 を、生物の進化という観点から、説明してみよう。自分なりの仮説だが、一読に値する。長文になるから、頭がくらくらするなら、ただちに、漫画サイトへ行け。

 「なにも、自分で望んで、自分に生まれてきたわけではない」、というセリフがある。確かに頭の中の理論では、そうだ。だが、魂のレベルでは、望んで生まれ出てきたのだ。

 前記事で、生物が死ぬとき、「あー、もっとああしたかった、こうしたかった、ああなりたかった、こうなりたかった」、という思念が宇宙に飛び、その思念をキャッチした創造主が、その願い通りに、生物を進化させる、という説を唱えた。

 人間も同じ。我々は人生の失敗を、山のように積み重ねて、「あー、もっとああしたかった、こうしたかった、ああなりたかった、こうなりたかった」、という思念を、宇宙に飛ばして死んだ。その心残り思念を創造主がキャッチして、敗者復活戦をさせてあげるために、我々を地上に遣わしたのだ。 ただし、前回の記憶をロード出来ないので、一からスタートする。

 でも、かすかに思い出す。愛と自由が、心の中にうずく、なぜなら、それらを渇望しながら死んでいった歴史が、宇宙に刻まれているから。

 そして、諸君のように、創造主からの宿題用紙を破り捨て、愛が得られない、愛によって裏切られたなら、悪魔にでもなってやる、結果、支配に走り、金に走り、貪りに走り、最後は、パッパラパーでいいんだと、人生を誤魔化しながら、生きていると、同じ失敗を繰り返すだけなのだよ。それが、どんなに無駄で、勿体無いことか、分かるかなー。うーん、それも、学びにとって、必要なプロセスなのかな。

 なかには、僕のように、宿題をやってみよう、という人間も現れる。そういう人間を、よってたかって、ぶっ潰すのも、諸君。自分たちは、とっくの昔に、人生を諦めたのに、なんだこいつは、皆と違うことをやろうとしている、許せない。その心はイエスを磔にかけた群衆と、同じなのだよー。

 創造主は、考え方によっては、親切でもあり、意地悪でもある。進化させてくれるが、障害物(人物?)も作り、なかなかマスを前に進めてくれない。敗者復活戦も楽ではない。


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